はじめに―優生学って何?―
「優生学」という学問があります。
遺伝に関する知見などをもとに、優れた形質や能力を持ったものを増やし、劣ったものを淘汰しようとする考え方のことです。
たとえば、
- 頭のいい(IQの高い)人
- 健康な(病気に強い)人
- イケメン・美女
などを将来世代にたくさん残すために、結婚や出産に介入したり、遺伝的に劣っている(とみなされた)人に断種手術をしたりすることが挙げられます。
ようするに、
家畜や農作物の品種改良を人間にも応用すればいいんじゃね?
みたいなノリです(実際にはもっと複雑な要因が絡み合って理論化されたようですが)。
この優生学、現代では科学的にも倫理的にも否定されていますが、それにもかかわらず形を変えて現代に蘇っているというのが、この本の主旨です。
それはなぜなのか、以下で見ていきましょう。
2種類の優生学と盛り上がった背景
まず、優生学とはどんなものなのかについて、もう少し掘り下げてみます。
池田氏によると、優生学には次の2種類があるといいます。
積極的優生学
1つは「積極的優生学」と呼ばれるもので、「すでに生まれた人間ではなく、生まれる前の段階でなんらかの操作を加え、優秀とみなされる資質を備えた人間を多く生むようにする」考え方を指します。
たとえば、優れた(とみなされる)資質の持ち主同士を交配させることや、胎児や受精卵の段階で優れた形質になるようゲノム編集を行うことなどが挙げられます。
消極的優生学
一方、「消極的優生学」とは「望ましくない形質または遺伝的欠陥を伝達しそうな人びとの生殖を規制しよう」という考え方です。
断種手術や隔離によって子孫を残せないようにすることや、エスカレートすると安楽死・虐殺さえ行われます。
進化論の後押しと人種主義との結びつき
このように、どう見ても過激な優生学の考え方が広まった背景には、進化論の影響があるといいます。
環境の変化に適応できた個体は優れており、その形質は遺伝によって受け継がれる。そしてこの進化を後押しするのに優生学は役に立つ、というわけです。
進化論の発展を受けて、優生学は「科学」の装いをまとうようになっていきます。
さらに優生学は人種差別とも結びつき、たとえば「白人以外の人種は劣っているから断種して構わない」といった発想につながっていきました。
人種主義と優生学の結びつきが最も強固に表れたのが、ナチス・ドイツによる優生政策です。
優生学にもとづく政策の代表例
優生学にもとづく政策は、過去に多くの国でさまざまな形で行われてきましたが、ここでは代表例としてナチス・ドイツと日本で行われたものを紹介します(本書の中ではアメリカの事例なども挙げられています)。
ナチス・ドイツの優生政策
ナチスの行った最大の罪として、ユダヤ人などに対して行われた「ホロコースト」が挙げられますが、これはナチズムの2つの地層の内の1つであるといいます。
もう1つは「強制不妊手術や安楽死をもたらした優生政策」です。具体的には、遺伝病患者や知的障害者などに不妊手術を受けさせたり、こうした人々との結婚を禁止したりする内容です。これはやがて、ヒトラーのもとでの安楽死政策(「T4作戦」)へと結びついていきます。
ホロコーストはあまりに有名でかつ非常に残虐であるため、ナチス固有の狂気というイメージがありますが、もう1つの優生政策の方は単にナチスの悪行として片付けられない面があります。
なぜなら、こうした政策は「社会の役に立たない人間は世の中から排除して構わない」という考えに行き着くからです。
ナチスに限らず、こうした考えはいつの時代・どこの国でも生まれる可能性があります。たとえば「多くの税金を使って障害者を養う必要などない」、「遺伝により無能な人間は無能な子供しか生まないだろうから、子孫を残すべきではない」といったようにです。
つまり、優生学は人種差別だけでなく、「役立つ人間と役立たずの人間」の線引きを助長するということです。
経済が低迷し、国に財政的な余裕がなくなるにつれて、こうした考えは強まっていきます。
日本の優生政策
日本でも優生学に基づく政策がつい最近まで行われていました。
代表的なものが「優生保護法(かつての国民優生法)」です。
国民優生法は遺伝性とされた病気の患者や障害者への断種を法制化したものですが、戦後「優生保護法」に改正されると、さらにハンセン病患者や、遺伝性以外の精神障害者や知的障害者への断種・中絶も行われるようになりました。
注意しないといけないのは、こうした断種・中絶政策は、「母体の保護」という福祉の観点からも正当化された点です。
多産を奨励し、母親の心身に大きな負担をかけていた時代の反省として「遺伝的に優れた少数の子供を生むべき」という考えへ変わっていき、それが優生学に結びついてしまったということです。
なお、優生保護法は1996年に「不良な子孫の出生防止」に関する条項が削除された「母体保護法」に改正され、ようやく優生政策は終わりました。
優生学は蘇る―その2つの背景―
しかし、優生学的な考え方は完全になくなったわけではありません。
むしろ、形を変えて蘇りつつあると池田氏は言います。
優生学が蘇る背景には次の2つがあります。
1.科学の進歩
1つ目は科学の進歩です。
たとえば分子生物学が発展したことで、生まれる前の胎児の「資質」(病気や障害の有無)がある程度わかるようになってきました。
もし障害を持っていることが判明したら、中絶するという選択肢も出てきます(実際、すでに行われているそうです)。
また近年はゲノム編集の技術が進歩しており、特定の遺伝子をピンポイントで破壊したり他の遺伝子に置き換えたりすることができるようになってきました。
ゲノム編集は病気の予防に利用されることはもちろん、肉体や精神の機能を向上させる操作(エンハンスメント)に応用される可能性も出てきています。
こうした手法は隔離や不妊手術などの優生政策に比べればはるかに洗練されており、心理的・社会的な抵抗感もそれほどありません。
しかし、優生学の発想に基づいていることには変わりなく、倫理的な議論を深めずに進めることは危険だと池田氏は言います。
2.経済の低迷
もう1つは経済の低迷です。
経済が行き詰まると税収が減り、財政が悪化します(※)。
財政が悪化すると、社会保障などの公的支出を削減しなければならないという声が大きくなってきます。
するとどうなるでしょうか?
「ろくに税金を納めず、それどころか国の福祉に頼り切っている役立たずの人間(障害者や病人、高齢者など)は排除すべきだ」という考えが広まる素地ができてしまうのです。
以前、某国会議員が「LGBTのカップルは生産性がないから税金で支援するべきでない」と主張し、問題になったことがありました。
この国会議員に限らず、生産性があるかどうか、言い換えれば「役に立つかどうか」という物差しで人間を評価する風潮がまん延していると池田氏は指摘します。
その風潮の背後には、「生産性の高い(=たくさんカネを稼げる)人間こそが偉い」という金銭中心の思想があります。
たくさんカネを稼げるということは、それだけ税金を納めているので、国家にとって有益な人間だというわけです。
池田氏は現在の大学行政の現状(役に立つ学生を育てようとする方向性)などを踏まえたうえで、「『役に立つ人間』と『役に立たない人間』という線引きは、経済が縮小していく時代においては、多くの人の心を捉えてしまうようです」と述べていますが、まさにその通りでしょう。
※ただし、日本など自国通貨建て国債を発行している国では、財政問題は起きないとする考え方もあります。これについては別の機会で取り上げます。
おわりに
今回は池田清彦氏の著書『「現代優生学」の脅威』を取り上げました。
この本を読むと、優生学は過去の遺物ではなく、現在も厳然と存在していることがわかるはずです。
かつてあった不妊手術や隔離、安楽死や虐殺のような露骨な形はとらなくなっていても、ゲノム編集のような洗練された手法として優生学は存在しています。
また、「役に立つ/役に立たない」という物差しだけで人間を評価する発想の中にも潜んでいます。
知らず知らずのうちに、優生学的な考え方に染まってしまう可能性も決して小さくありません。
優生学的発想は、差別を助長したり、異質なものを排除する方向にも向かいますが、これはコロナ禍で起きた感染者・医療従事者などへの差別や「自粛警察」にも通じるものだと池田氏は言います。
自分の信じる正義を一方的に振りかざし、悪気がないまま悪に加担してしまう構図はいつの世にも見られます。
大切なのは、自分の考えを一歩引いたところから客観視してみる姿勢なのかもしれません。
最後に余談ですが、もし今後「役に立たない人間は淘汰されるべし」という優生学の発想が強まっていくとしたら、「稼ぐ力」に乏しく、大して税金も納めていない僕のような人間は、確実に淘汰の対象となるでしょう(泣)
最後まで読んでいただきありがとうございました。